こんにちは、臨床心理士・公認心理師のしあんです。
今回は、人助けが好きな人に潜む『メサイアコンプレックス』について紹介します。
厨二っぽいのキターーー!
行動面で見れば「人のために献身的に何か手伝いたい」という感じで、それはもう一見素敵な人代表。
(筆者も見習ったら?)
しかし、「誰かのために」という思いが強くなりすぎたときは自分の気持ちも見え隠れしていたり…。
メサイアコンプレックスが働いていると「人のために頑張っているはずなのになんとなく煙たがられているかも…?」と感じやすいです。
対人援助職の人に多いとも言われるので、つい身を粉にして頑張っちゃう人や自称・通称お節介な人は参考にご覧ください。
でもメサイアかもって思う人が読むと刺激強いかも…!
こんな人におすすめ!
・メサイアコンプレックス初耳勢
・人助けが好きな人
・お節介が好きな人
・対人援助職を目指している人
メサイアコンプレックスとは
メサイアコンプレックスとは、自分への劣等感と自分は人を救える存在だという感覚が混ざった状態で、人を助けることで自分に意味を見出したり自分は幸せだと感じるようになることです。
メサイア=救世主
考え方としては、自分に対する劣等感や不幸である感覚を感じないようにするために「自分は幸せな人間なんだ!」と過度に思い込むイメージ。
「幸せな人なら人を救うもの。人を救える自分は幸せなんだ!余裕があるんだ」という認識でしょうか。
モヤモヤ…
実際はその人のコンプレックス(自分には価値を感じられないなど)からきていたとしても、コンプレックスを意識することは難しい=メサイアコンプレックスの自覚もまた難しいといえます。
「あなたのために」頑張ってる訳だもんね
むしろ、「誰かのためになりたい」気持ちや行動は一見好ましいものなので『親身になってくれる良い人』と見られることも。
救世主になりたい人と助けられたい人がマッチすればある意味平和かもしれません…(それは共依存かも)。
「人のためになりたい」という気持ちは決して悪いことではないですし、むしろ素敵なことだと思います。
ただ、人を助けることで自分に価値を見出していたり、人のため以上に自分が何かしたくて助けていたり、思うように援助できない人はスパッと関係を切ったりする場合はメサイアコンプレックスが働いているかもしれません。
お節介の押しつけになってないか相手とコミュニケーションとりたいね
メサイアコンプレックスの例でいえば、「子どものため」と思って育児に熱を入れすぎて『子育てする自分に価値がある』としたり、「彼のため」と思ってダメンズに尽くしまくって『彼に尽くす私は価値がある』としたり。
それの何が良くないの?と思う人もいるかもしれません。
メサイアコンプレックスによる関わりはコンプレックスを抑圧するための自己満足の押しつけなので、相手にとってはありがた迷惑になる可能性があります。
「あなたのため(私のため)」…
\ こんなのあった /
メサイアコンプレックスの問題
人助けすることで自己満足を得ようとする背景があると、人間関係にひっそりと問題が生じます。
ひっそりなんだ
自覚なければ良いことしてるだけだもん
対等な人間関係をもちづらい
メサイアコンプレックスの場合、人助けすることで自分のコンプレックスを埋めるため、かわいそうな人や自分の善意を受け取ってくれそうな人を求める傾向があります。
上下関係みたい…?
メサイアコンプレックス側からすればかわいそうな人に尽くして自分に価値を見出し、援助を受ける側からすれば助けてもらえてウィンウィンにも見える構図。
が、メサイアコンプレックスをこじらせると、不幸な人がいなくなったら自分に価値を見出せない=相手に不幸のままでいて欲しくて、無意識にも援助をなぁなぁにしたり困らせたりすることもあり得ます…。
ひぇっ…
また、自分の助けを受け入れてくれない人に対してはスパッと関係を諦めて不機嫌になることも多いです(誰だって嫌な人とは関わりたくないものですけどね!)。
ある意味「私と仲良くしてくれる人(自己満につき合ってくれる人)」としか関わらないため、もっている人間関係は良好に感じられるかもしれません。
偏った偽善sy(((
でもそれって対等な人間関係とは言い難いかも…。
相手から煙たがられる
メサイアコンプレックスの場合、自分の劣等感を埋めたり自分に価値を見出したりするために善意を押しつけがちになります。
それって本当には相手のためを思って助けるわけではないので、相手からすれば「押しつけがましいかも…」「ちょっと迷惑…」と煙たく感じやすいもの…。
こじらせてしまうと「あなたのために~してるのに!」と押しつけが前面に出て、相手にありがとうと言わせるような状況・雰囲気をつくってしまうことも。
ひょえぇ
たとえば「彼ったら私がいないと本当に何もできないんだから…」と彼氏の世話を献身的にし続けて彼氏が自発的に何かすることを妨害していたとしたら。
彼氏はダメなままで、彼女を都合良く思うこともあれば『スマホまでチェックしてきてうぜぇな』とか嫌がられることもあり得ます。
相手の思い<自分の思いになってない?
メサイアコンプレックスによる人間関係は、懸命に援助しているはずなのになんとなく煙たがられて人間関係がギクシャクしやすいと言えます。
対人援助職とメサイアコンプレックス
心理士や介護・福祉関連の人、医療従事者、教育関係者など、人の心身を援助する人たちにはメサイアコンプレックスが潜んでいることが多いと言われています。
先述した通り、人のために何かしたいと思うこと自体は素敵なことですし、特に対人援助職の人がこう思うのはむしろ自然でさえあるかも。
ですが、「誰かのためになりたい」と思うとき、自分の心にメサイアコンプレックスが潜んでいないか今一度振り返ってみましょう。
エゴの押しつけにならないようにね
対人援助職がメサイアコンプレックスに突き動かされていると、以下のような問題が生じるかもしれません。
・相手を「支援が必要な人」と見下した関係になりうる
・助ける自分が快感で援助が押しつけがちになる
・相手の思いを聴けない
・相手の正直な発言を抑えてしまう可能性がある
・共依存的な関係になってしまう
・過度な自己犠牲で共倒れになってしまう など
総じて相手のためにならん!
「人のため」って何だろうね…
人は、どう足掻いても他人の気持ちを100%は分からないし、人間関係に思いやりはあれど正解はありません。
人助けで優越感を得たり自己陶酔したり…自分の欲求を満たすために人を利用するのは少なくとも「人のため」ではないでしょう。
なお、メサイアコンプレックスがあると気付いたとしても、対人援助職失格なんてことはありません。
人のためになりたい気持ちは大切な心得なので、相手に役立つことを考えて思いやれたら十分かと。
逆転移を活かそうって話と似てるかも
おわりに:救いたいのは誰かじゃなくて自分の心かも
誰かのためになりたいと献身的に思うとき、「誰かのため」と言いながら実は自分のコンプレックスを抑圧する背景もあります。
メサイアコンプレックスは自分の幸せや価値づけのためにかわいそうな人を救っている状態で、『人助けして幸せ』ではなく『幸せになるために人助けを利用する』という構図…。
ロジックが反転…?
誰かの助けになるとき、本当は自分の心を救っているのに「あなたのため!」と妄信して援助を押しつけるのと、誰かの助けになった結果として自分の心も救われた気持ちになるのは関わり方も気持ちも別物です。
そもそも人助けは自己犠牲をしてまですることではないし、「救ってみせる!」なんて押しつけるものでもありません。
一見優しそうに見えて優しさじゃないね
誰かのためになれたら大抵の人は嬉しさを感じると思います。
メサイアコンプレックスは誰の心にも潜む可能性があるので、「自分のため」を押しつけていないか振り返って冷静さを取り戻しましょう。
そして、「人のため」を思うなら相手の気持ちやニーズをしっかり聴いて、対等に話し合えると良いですね。
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